河童を探しに行こう7
 由仁子と通はただ無言で光を見つめる。
その表情は、地面を真剣に睨みつける光とは違って気の抜けたような雰囲気で、2人と光の間に少しの温度差を感じさせる。
――いつもの光景ではあったが、今日に至っては光の真剣さが段違いだったので、由仁子も冗談や軽口を挟んだりはしなかった。

「俺たぶん、その子を見たんだ」
「……ん? その子?」
「その女の人の、子供……かな」
先程よりも、何を言ってるのかわからないというような表情を浮かべる由仁子。
「ちょ、話聞いてた? その子はもう……あの……てか河童の話は?」
「河童も見たよ。由仁子と一緒に。でも俺は、その子も見たんだ」
通は何も言わず光の言葉の続きを待っている。
「俺がカメラ拾うって川の中に頭突っ込んだろ。あの時、子供を見たんだ。一瞬だけど……川の底で、安らかに寝てるみたいだった。濁ってる水の中で、その子だけが光ってるみたいにはっきり見えた」
由仁子も通も、俯く光の前髪から水が滴るのを見つめることしかできず、ざあざあと木が揺れる音だけが響く。

「由仁子さっき、子守唄のタイミングのこと聞いてたよな、手殴られた時かって」
「え、殴られた?」
「あ! 違うよ通、気にしないで、光続けて」
「……河童がいなくなったのと、歌と、なんか関係あるって思ったんだろ」
「……うん」
やや訝しげな表情をする通の顔の真ん前で由仁子が手を払う。頼むから何も気にするな、とでも言いたげな様子だった。

「俺も今の通の話聞いてさ、同じこと思ったよ」
「あ、ほんと?」
「どう関係してるかはっきりとは分からないけど……いきなり離れてっただろアイツ。驚いて逃げたんだと思ってたけど、それだとタイミング合わないし」
「やっぱそうだよね、ぶたれ……ぶつかるより先に離れてったもん」
うーんと真面目に考え出す由仁子、突然はあっとため息をついて手で自分の顔を覆う光。
何か誤魔化されていることは分かったが、追及すると光の精神状態に負荷がかかる可能性に気付いたのか通は由仁子だけに視線を向けることにしたようだった。

「光が見た川底の子がその子だとしてさー、河童は何なのかな」
「さあ……そこの関連性はわからない」
「あたし河童にシメられてる時すっごい苦しくて怖かったんだけどさ」
「え? シメられてるって何ですか?」
目を丸くする通にまた由仁子がひらひらと手を払って言葉を続ける。

「でも、バカみたいなこと言うけど、一瞬かわいいって思ったの」
「……」
光が顔を上げて虚ろな目を由仁子に向ける。
「愛おしい、みたいな気持ち? だから、咄嗟に庇おうとしちゃったっていうか。河童ももしかしたら悪いヤツじゃなかったのかもね」
「……うん」
石にぶつけただけだよ、と由仁子が通に腫れた手を見せるのを見ながら、光は自分も同じように思ったのを思い出した。

 愛おしい気持ち。自分のは……由仁子が感じたのとは違う、ただの好奇心。
憧れのUMAに出会えた興奮、嬉しさ、高揚感。
それは感じた自分自身が理解している。
だけど、由仁子は本当に『愛おしさ』を感じたのだろう。
それは恐らく、母性本能、と呼ばれるような。
母から子へ向けられる愛情。
本能的な愛。守らなければという思いがその行動に現れた。その結果が、腫れ上がって段々と青紫色に変わりつつある小さな手。
光は己の愚かさと由仁子の行動を頭の中で対比させて、また自責の念に苛まれていた。

「……河童、あの子だったのかもしれない」
「え?」
「姿は違ったけど。同じ子で……お母さんの歌が聞こえたから、また眠りについた、とか」
今度はぽかんとした顔で見つめられて、光は眉を顰めて唸った。自分でも自分の言っていることがよくわからない。
「由仁子のことお母さんだと思ったんじゃないかな。でも違ったから、歌が聞こえて本物のお母さんが遠くにいるのに気付いたから、離れて行った」
「……あー、なるほど!」
由仁子は納得したように大声を出したが、大抵誰が何を言ってもなるほどねー、と返すような性格なのを知っているため、光は一旦聞き流して通の顔を見た。

「うん、僕もその線はあるかなって思います。そっちの状況がどうだったのか、よくわからないけど」
「そうか……あるかもな」
「絶対あるよ! 光はやっぱすごいねえ」
だんだんと由仁子の受け答えが適当になっていっているのに気付いて光は一瞬脱力感を覚えたが、その顔を見てさっと血の気が引いた。

「……由仁子、具合悪いか?」
「え? あー……へへ、ちょっと……吐きそうかも」
ぶるるっと身を震わせて、血色の失われつつある顔でなんとか情けない作り笑顔を浮かべる由仁子。
堰を切ったように立ち上がって荷物をまとめる光。
通が慌ててスマートフォンを取り出して、親にタオルを持って迎えに来てほしいと電話をかける。
ごめんなと声をかけられ続けても元気の無い愛想笑いを浮かべるしかできなくなっていた由仁子は、帰りに乗せてもらった通の親の車の中でも終始ぐったりとしていた。

 河童を探す、というその日の活動は、一旦それで解散となった。ただ遠目から撮影だけできればいいとたかを括っていたのが、予想外の展開の連続で由仁子の体力は限界に達し、光も精神的に参ってしまっていた。
河童、女、そして光が見た川底の子供についての考察は中途半端なところで中断され、次回の集まりまで持ち越しになる。


 次に会の集まりがあったのは1週間後だった。
河童とカメラを探して比良川の中に飛び込んだ光と由仁子は見事に体調を崩し、数日間熱にうなされ学校を休んだ。
長引いたのは光の方だった。頭まで浸かって全身ずぶ濡れになったのだから、当然である。
由仁子の方はというと、風邪は3日ほどで全快したもののカメラで殴打された手は骨が折れてしまっていて、しばらくミトンのように包帯を巻いて生活する羽目になった。

 それぞれ家で休んでいる間、光は何度も由仁子に体調はどうだとか、手の具合はどうだとメッセージを送って、最後の方には笑顔の絵文字ひとつだけで返事を済まされる始末だった。
壊れたカメラに関しては、由仁子はしばらく兄に内緒にしておくそうで、光は風邪薬と一緒に胃薬を飲むことになった。

 久しぶりのオカルト研究会の活動の日。夏休みの少し手前。
暑い暑いと文句を垂れげんなりした顔の由仁子と、相変わらず凛とした雰囲気を纏った光が、1年生の教室のある3階への階段を上がる。
久々に由仁子の特徴的な足音を耳にして嬉しくなった通は、2人が教室の扉を開いて入る少し前から既にニコニコとした笑顔を浮かべていた。

「やー久しぶりだねえ通……ここも暑いじゃん〜!」
「放課後は教室の冷房切られるんだから仕方ないだろ。通、元気してたか?」
「お久しぶりです先輩たち〜! 僕は元気ですよお、もう、本当に会いたかったです!」
1週間ぶりの先輩たちとの会合に喜びを隠せない通の笑顔を見て、光と由仁子は思わず吹き出してしまった。
「なんで笑うんですかあ」
「わんちゃんみたいだったよ」
むくれる通の頬をつんつんと揶揄うようにつつく由仁子の分まで椅子を用意してから、光が先に着席する。
「じゃあ……この間の続きを話そうか」

 ひとつの机を囲んで顔を突き合わせると、由仁子がパステルカラーのノートを開いてメモをとり出す。
「えーと、こないだは河童が寝てて、子供で、歌ってて」
「待て由仁子、メモなら俺がとるからやめてくれ」
ノリノリで文字を書いていたのを制止されて口を尖らせる由仁子。それを横目に、通がスマートフォンで何かの検索結果を表示させて2人に見えるように机に置く。
「僕あの日なにもできなかったから……せめて先輩たちが休んでいる間だけでも何か力になりたくて。いっぱい調べたんです、比良川で過去に何かが起きたのか、とか」
検索結果を適当にスクロールさせる指はどこかのページを開くこともなく、ただ上下に動かされている。
「あの女性の口ぶりと、光先輩が見たもの。あの人のお子さんはきっと川で溺れたんだと思って。だけど、出てこないんです。水難事故の記録なんて何も」
「ほんと?」
「はい。豪雨の時に氾濫したとかそういう記事はあるんですが、あそこやあの付近で死者が出たという話はどこにもありませんでした」
「過去、一件もないのか?」
「……何世紀も遡ったり、戦時のことを含めれば別でしょうけど……近年の事故は無いみたいです。一応親や先生にも聞いてみたんですけど聞いたことないって。僕気になって役所に電話までしたんですよ、だけどやっぱり……」
通はそこまで言って、光の顔を見て肩をすくめた。

「あの川おっきいように見えてそんなでもないからねえ、近くに消防署もあるからなんかあってもすぐ助けてもらえるでしょ」
「昔は墓地だったとか?」
「だったらもっといっぱいお化け出るんじゃない? てかダムじゃないんだから墓地が川になるってナニ?」
由仁子と光が揃って首を左右に傾げ、唸る。
「……もしかしたら、川とは違うところで亡くなったのかもしれません」
通が口を開く。

「え、じゃあなんで川で眠ってたの?」
「散骨ってご存知ですか? 亡くなった方のお骨を、海や土に蒔く供養の仕方があるんです。そうするとその魂は自然に還るとか、自然の中で安らかな眠りにつけるとか、解釈は様々あるようですが」
そう言いながら、通は散骨と文字を打ち込んで検索をかけ、結果のページを表示させてまた机の上に置く。
「もしかしたらあの女性はあの川で、そういうことをしたのかもしれません」
「……勝手にやっていいの? そういうのって」
由仁子の疑問に通は画面を見つめて小さく頷いた。
「本当は自分の土地とかでやった方がいいと思いますけど……」
「何か強い思い入れがあったんだろうな、あそこに」
腕組みをして画面を見ていた光が口を挟んだ。
「じゃないとわざわざ手間のかかることしないだろ。それに、幼い子供を失うって相当……その、気持ち的にさ」
光が言葉を選ぶようにゆっくり話すのを、由仁子も通も真剣に聞いている。
由仁子は眉間に力が入って、少し泣きそうな顔になっていた。
あの日、"その子供"かもしれない存在に直接、しっかりと触れたのは由仁子だけだった。それ故に、他の2人より感じるものがあったのだろう。
通は泣きそうな顔こそしていなかったものの、視線を下に向けて沈痛な面持ちをしている。
かと思うと、ゆっくりと小さな口を開く。
「……そもそもどうして、比良川に出るのは河童だと言われているんでしょうか」